このはな綺譚@ 「柚は意識の転換をもたらす稲荷神の化身?」 
アニメ公式 http://konohanatei.jp/
Wiki https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%81%AA%E7%B6%BA%E8%AD%9A

☆虚空のエストラーダ記
アニメ化決定より随分と前から諷虹君に原作を勧められて読んでいました。(アニメ化されていないエピソードに関しては 漫画のコーナー)
アニメは作画なども非常に丁寧な作りで、原作の雰囲気をよく再現できていたと思っています。

劇場版「若おかみは小学生!」を観たことをきっかけに再度アニメや原作を見直しています。
特に劇場版は幽霊が登場しながらもテレビシリーズ版と違って、より「あの世とこの世」を意識した内容になっているので、「このはな綺譚」の世界と関連させて様々な想いが浮かんできています。

そんな想いのほんの一部を「柚は意識の転換をもたらす稲荷神の化身?」というテーマを中心に書き留めておきたいと思います。
それと同様に若おかみの主人公であるおっこも「意識の転換をもたらす稲荷神の化身」と考えています。




第一話「さくやこのはな」

動画 https://gyao.yahoo.co.jp/player/00998/v00990/v0000000000000007272/
アニメ内シーン セリフや感想 http://anicobin.ldblog.jp/archives/52197260.html

ここで最も印象に残っているのが「薬屋」さんのセリフです。(原作 「此花亭綺譚」(新装版 上)「星を落とす」)

生真面目でしっかりものの皐さんに対して「・・・それは遊び心と言うんです。あなたは責任感の強い方だが、もう少し肩の力を抜いたほうがいい。お客さんは楽しむために来ているのですから」(原作より抜粋)

このセリフにはズキッとしました。私は責任感はともかく「生真面目」「くそ真面目」ということを若い頃から随分と言われてきたんで。
厳格で潔癖な母の影響もあると思います。だからこの薬屋なんのように忠告してくれる人がいても「真面目のどこが悪い!」という具合で余計に頑なになってしまう傾向が今でも強いですね。
→だからみんなでワイワイガヤガヤというのは極めて苦手です。宴会なども苦痛以外の何ものでもなかったですね。
そのために場の雰囲気に少なからず水をさしてしまうこともあったのは事実です。


ただ、現代は「みんなで楽しい時を過ごすために、誰かを犠牲にする」という風潮が強すぎます。バラエティ番組の影響も若者たちは受けすぎているとも言えましょう。
ああいったことが「みんなで楽しむ」と思ってしまっている。そこに情報端末で陰口などをいって密かにほくそ笑む、なんていうのがプラスされていて・・・。

これは「みんなで楽しんでいる」んではありませんよね。「いじられて犠牲になっている当人」は「みんな」と認識されていないのですから。

*このあたり「若おかみ…」に繰り返し出てくる「花の湯温泉のお湯はみんなを受け入れる・・・誰もこばまない」という視点から、本当にみんなが幸せになれる道を本気で考えて欲しいものです。


第四話「夢の浮き橋」

動画 https://www.youtube.com/watch?v=ZPREkf_k7Ug
アニメ内シーン セリフや感想 http://anicobin.ldblog.jp/archives/52326800.html

前半は原作でいう「このはな綺譚 1巻 たまごのみる夢」、後半は「花嫁御寮」が元になっています。

たまごのみる夢は、昭和のアニメ「うる星やつら」の鏡蜂のエピソードを思いうかべてしまいました。もちろん趣旨はあれとは違うんですが。

悪夢を食べてくれる獏の登場ですが、これは後半の内容ともからんで「夢と現実」の深い関係を描いていると思いました。

この点については 用語辞典の方の「夢と現実」でも上原輝男氏の講義録からとりあげていますが、一部転載しておきます。

我々も考えてみましょうね。「現実と夢とは違うんだ」とよく言いますけれども、本当ですか?皆さんもある時期までは現実と夢とを区別してきたでしょうけれども、もうボツボツまた子供に帰って現実と夢とのつながりを考えてみる段階へお入りになった方がよろしいかと私は思いますね。そちらの方がより高度な生き方ができると私は思いますよ。「自分の考えていることは夢なんだ。現実にはなかなか相容れてくれないんだ。現実は厳しいんだ」なんていうのはある段階でしかないんではないでしょうかね。

実際に我々は現実に生きているんでしょうか?現実に生きているんでしょうか?(中略)


自分を本当に住まわせているのは夢の世界ではないですか?いつまでたっても。私を一番心休まるように住まわせてくれているのは現実と離れたところにそれぞれの人がいらっしゃるのではないですか?

だいたい我々がこの世をおさらばする時にね、「俺は長い夢をみていた」と言っておさらばするんじゃないですか。
(後略)


これらのことは「夢の世界」が変化すれば「現実の世界」も変化する・・・ということでもあります。
「とある魔術の(科学の)・・・」に出てくる概念「パーソナルリアリィティ」とも関連が深いことだと思います。(→用語辞典)


「花嫁御寮」の方は原作を読んだ時から最もグッときて読むたびに涙腺がゆるみっぱなしのエピソードでした。
だからアニメでもこのお話の登場は待ち遠しくもあり、また観るのを避けたいという気持ちもあり・・・複雑でした。



いいお話なのですが、当人にとってはハッピーエンドでも、他からみれば「悲しい」・・・言葉にならない「深い悲しみ」とでもいいましょうか。
国語の教科書で読んだことがあるかもしれませんが「ちいちゃんのかげおくり」というお話もこれと似たような部分があります。



このやりとりが先ずたまりませんでした。
桐『じゃあこんな話知ってる?若くして亡くなった娘の代わりに人形に花嫁衣裳を着せる風習があるんですって。娘があの世でお嫁入するために。
柚。あんたはどう思う?ここにいない人達と過ごすあのご婦人を可哀想だと思う?』

柚『それを…お客様が望まれたのならお客様の見える世界が真実です。だってお客様は神様ですから!』


そして次のこれ
娘『お母さんを化かすのはやめてちょうだい!いつまであの人をこんな所に閉じ込めておく気!?』

桐『お客様は自ら望んで此花亭の暖簾をくぐって来られました。追い返すことはできません。
あなたもここでの時間を楽しまれればいいじゃありませんか』

娘『できるわけないじゃない!どうせこんなの夢なんだから!覚めたら余計に悲しませるだけじゃない!』

桐『でもねお嬢さん。あんた方人間様の一生も此花亭で見る束の間の夢もあたしら狐には大して変わりませんよ。
 ああいい夢だった。それじゃいけませんか?少なくともあのお方は夢でも構わないんですよ


そしていよいよ旅立ちの時
おばあさん『仲居さんありがとう。あなた達のお陰で幸せな時間を過ごすことができたわ。本当に夢のような…』

桐『夢ではございません。これからはずーっと娘さんとご一緒にいられますわ。共に過ごすことの叶わなかった数十年より長く』

おばあさん『本当に…今日はなんていい日なんでしょう…』・・・うれし涙を流しながら消えていきます。そこへ柚が食事を運んできます。

柚『お客様。御昼食をお持ちしました…』

桐『お客様ならもう旅立たれたわよ。娘さんの待つ所へ』

柚『そうですか…きっとお急ぎだったのですね。お見送りできなかったのは少し残念です』

桐『そういえばお礼を言われたわよ。「あなた達のおかげで夢のような日々だった」って』



人間にとっての「現実」って何なのでしょうね・・・・勝手につくった「現実という幻」で自らを縛りすぎているのが現代人かもしれません。
私などはその最たる者です・・・・きっと。


第五話 「梅雨送りし」

動画  https://www.dailymotion.com/video/x678yy7
アニメ内シーン セリフや感想 http://anicobin.ldblog.jp/archives/52368742.html

前半は原作「このはな綺譚」第二巻「恐怖!!呪いの日本人形」 後半は「棚機の娘」です。

大方はコミカルに描かれているエピソードですが、この日本人形がしまわれてしまった顛末はよくある話なのですが、胸が痛みます。

お菊をしみじみ見ながらの柚のセリフから
柚『…綺麗な瞳ですね。ガラスがきらきらして陶器の肌も真っ白で透き通るようで。きっと大切な女の子の為に丹精込めて作られたんですね』
ここで回想シーンです。
母親「嫌だわ。日本人形なんて薄気味悪い」
父親「初孫の為に母さんが送ってくれたんだから仕方ないだろ」
母親「物置にでもしまっておいてよ」
やがてもう少し大きくなった娘さんが着せ替え人形と遊んでいる声が・・・お菊は物置の奥で忘れ去られていく・・・・

実際にかなり著名な匠によってつくられた一級品の日本人形ということなのですが、そんな自分を邪険に扱った人間を恨み、「呪いの人形」になってしまっているというお話。
こういにの、とっても怖いなと思います。

私の親戚にも人形が薄気味悪いといって嫌っている人物がいます。だから人から贈られた人形をみんな押し入れの奥にしまい込んでしまっていました。
ある時にそういったことを知り、現在は私がひきとって部屋のあちこちに飾っています。

ちなみに我が家はぬいぐるみだらけです。自分で買ったのもありますが、知り合いのお子さんがもう人形は卒業という時に、捨てるのを嫌がるので私にもらってくれないか、といって譲られたものがたくさんあります。
人形寺のようです。

こんな年の私ですが(平成30年現在 57歳)幼い頃から人形やぬいぐるみに「生命」を感じてしまうというのは変わっていません(笑)

アニメでは仲居のみんなの雰囲気に包まれながら、そして獏の力もあって浄化されていきます。



後半のエピソードは折口民俗学でいう「水の女」「たなばたつ姫」ということに通じるお話なのですが、ここではそのことにはこれ以上ふれません。
(原作では日本人形が後のお話なのですが、アニメでは逆にして後半にもお菊を登場させています。)

ここでも柚の一言が登場人物の意識を転換させます。

たびたびこうした場面が出てくるのですが、柚ちゃんは発言した人の真意とは違った受け止め方をします。
根が肯定的な構えとでも申しましょうか・・・幼い頃は人を疑う子狐だったのが、人格的に優れた比丘尼様という人間に育てられていくうちにそういった構えを獲得していきます。

自分の発言を全く違った意図の言葉として何の疑いもなく受け止め、感心したり感動している柚ちゃんの言動で、発言者の方も「そういう気持ちでもあったかな???」なんていつのまにか軌道修正されてしまう。
そういった心の世界が転換すると、いつのまにか気持ちの流れ方も変わり、生活態度も変化・・・日常そのものが変わっていく。

柚ちゃんは、いつもそういった役回り・・・・

この物語では「狐は古来から神様の使い」という位置づけとして描かれています。だからあの世とこの世の中間にある神様や成仏途中の魂が宿泊する此花亭の仲居や女将はみな狐です。

キツネといえば「稲荷信仰」ですが、私の父が調べた説では、もともと稲荷神は「狐」とは関係なかったと・・・本来の正体は伊勢神宮の外宮のお祭りされている「豊受大神様」だということです。
この神様の最大の御利益は、目にはみえない神の世界の御神徳を、この目に見える世界に仲立ちして、実現させてくれるということ。
だから大きな神社の本殿の手前にお稲荷さんが祭ってあることが多いのだとか。
それが財をもたらせてくれるという信仰につながり、財界人などでお稲荷様を祭っていることが多いということにもなっているようです。

土着信仰といったら叱られそうですが、最も日本の庶民に愛され信仰されているのは「稲荷神」(ちっちゃな社まで含めると稲荷神は八幡様かという)ということはそのあたりのことからのようです。
(チベット仏教のダーキニーが日本に伝わってくるとこの稲荷神と習合したようです。)

そう考えると、この柚こそが新人仲居でありながら、最も本来の「稲荷神の神格を宿した狐」といえそうです。


神様のための機織りをしている娘とのやりとりです。
柚『見る間に出来上がっていきます!すごいです!』

機織り娘『うん…この程度じゃ駄目よ。上の姉様は私より手が早くて一足先に織り上げてしまったわ。下の姉様は私より器用でもっと綺麗に織れる。
   私はどちらでもないから…もっと姉様達よりも早く綺麗に織れるようにならないと…』

柚『でも…早くて綺麗はお姉様方にはできないことではないでしょうか?
  私はお姉様方を存じ上げないので比べてどうかはわかりませんがお客様の手でみるみる雨糸が織り上がるのは見ていてわくわくします!
  やはり雨の糸を織るのは長い鍛錬が必要なのでしょうね。私が習っても無理でしょうか』

機織り娘『これは…天津神に仕える私達姉妹にしか織れないから…他の人では駄目なの。』

柚『ではこれは天の神様への贈り物なのですね!だから急いで作られてたのですか?こんなに素敵ですもの早くお見せして喜んでいただきたいものですね!』

機織り娘『…そうね。喜んでもらえると嬉しいわね。でもこれはまだ未完成なの。もう少しで完成するから内緒で一番に見せてあげる』(素敵な笑顔をみせてくれます)




第六話 「此花亭怪談」
動画 https://search.yahoo.co.jp/video/search;_ylt=A2RCL65sHrZbdTIA1QiHrPN7?p=%E3%81%93%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%81%AA%E7%B6%BA%E8%AD%9A+%E7%AC%AC%E5%85%AD%E8%A9%B1&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

アニメ内シーン セリフや感想 http://anicobin.ldblog.jp/archives/52411534.html

原作 此花亭綺譚 上・下より

友達がいなくていつも一人で寂しい暮らしをしていた女の子が怪談にからんで出現します。冒頭の柚の過去シーンが後半に生かされて・・・。
幼いころからいじめられ仲間外れだった私にとっては、観ていてかなり辛いエピソードです。
ここでもクライマックスで柚ちゃんの言葉により意識の転換が描かれています。
また宿の仕事についてなどでも「おっこ」と通じることが多々あります。
(なおここに出てきた女の子は次の「夏祭りの夜」でもちょっとだけですが大事な役割として出てきます。)

まずはこの女の子の境遇について怪談大会(?)で語られています。
《ある所に身寄りのない娘がいたの。友達もいなくていつも一人で寂しく過ごしてたそうよ。
 その子はね。友達が欲しくて自分なりに尽くすんだけど、誰も本心からは愛してくれなかった。

 どうして私じゃ駄目なの…私の何を変えればいいの…私だから駄目なの?じゃあ他の誰かになれば…そう考えた彼女は自分を消せば他の誰かになれると信じて・・・(自殺。怨霊として姿を現し)

 ねぇ。これであなたの望む人になれた?これなら私を好きになってくれる?(みんなが逃げると)
 どうして逃げるの?まだ駄目なの?ねぇ。私を好きだと言って。そうすればあなたも私と同じものに…》

後半、この子は此花亭の仲居たちに化けて、何とか自分の世界にみんなを引きずり込もうとしますが、すぐに偽者であることがばれてしまいます。でも柚だけはニセの皐に連れられて・・・・

柚『あの…どちらに行かれるんですか?』

ニセ皐『幸せな所。柚なら一緒に来てくれるだろ?』

柚『はい!お付き合いします。ところであなたは誰ですか?』

ニセ皐『気付いてたの…?私が偽物だってわかっててついてきたの?』

柚『だって…あんな表情で伸ばされた手を振りほどけません』

ニセ皐『君、拾われたの?』

柚『はい。一人で雪に埋まってた所を比丘尼様に』

ニセ皐『そう…君なら私を好きになってくれる?誰になれば好きになってくれる?私の何を変えれば…それさえ教えてくれればきっと…』

ここで柚ちゃんから「転換」への言葉が飛び出します。

柚『あなたは誰が好きなんですか?』

ニセ皐『私は…!』と言葉を失いつつ、逆に

ニセ皐『じゃあ柚は…?』

柚ちゃんの過去がいろいろと出てきて・・・此花亭に預けられるまでのことが白昼夢のように甦ってきます。

柚『あれ…?今私立ったまま夢を?』

ニセ皐『質問の答え、聞いてないよ。柚は誰が好き?』

柚『(笑顔で)たくさんです!比丘尼様や寺にいらっしゃるお客人も此花亭のみなさんもそのお客様も。
  少しの偶然で一生で会えなかったかもしれない人達です。その奇跡を、その人がいてくれるだけで感謝でいっぱいになります!
  今日はあなたにも出会えました。』

このあと三途の川が出てくるのですが、柚を道連れにするのはやめて本来の姿になり、笑顔で成仏していきます。
それを見送りながらの柚

『あんな笑顔されたらきっとみんな好きになってしまうと思います!他の誰かにならなくても…』




第七話 「かりそめの訪客」

アニメ内シーン セリフや感想 http://anicobin.ldblog.jp/archives/52500368.html

動画はちょうどいいのが見つかりませんでした。

原作 前半は「このはな綺譚」2巻「潮騒」、1巻「てのひら」

原作では別々のエピソードですが、アニメではつながりを持たせています。シナリオの妙です。

前半は「夢と現実」について色濃いやりとりが出てきます。海岸に流れ着いた少女と柚の出会い。少女は柚に「自分は遭難者だ」とか「実は人魚なんだ」とか・・・嘘をつきまくります。柚は「嘘だよ」と言ってまた別の嘘をつかれても怒りもしないで次々と本気にして真剣に対応します。

少女『・・・・仲間を探してるのも嘘。私友達いないから。だってみんな嘘つきな私が嫌いだもん。母親ともうまくいかないし父親も仕事が趣味みたいな頑固親父でさ。
 学校だってあまり嘘ばっかりつくから最近は何を言っても無視される。だからもう私の嘘なんて誰も聞いてくれない。
 でも嘘をつかなくなるとさ、現実って残酷なくらい変わり映えしないんだよね。

柚『そうですか?私はお宿で仲居のお仕事をしておりますが、いろんなお客様がいらっしゃって毎日わくわくします!』
 
少女『それは…狐ちゃんがやりたい仕事してるからだよ。私は将来の夢とないから…(中略)
  『…毎日ただ学校に行って、大人になったら仕事に行って、これからずっと毎日毎日その繰り返しで…騙してごめんね狐ちゃん!』

柚『騙されて等おりませんよ。だってお姉さんはお饅頭を返してくれました。騙すというのはそれで何かを盗ったり人を傷付けたりすることです。
お姉さんの作るお話は楽しいです!だって私は今日一日で遭難された旅人と迷子の人魚とあなたに会えました』

少女『楽しい…(幼い頃の回想)うん…子供の頃は嘘でも構わないからわくわくした。
 答えのわかり切った変わり映えのしない現実、妄想も空想も含めて現実なのにね。
 あんたみたいな子が私の傍にもいればよかったのに…』

柚『いらっしゃいますよ。お姉さんの作るお話が楽しいって方が、あなたを必要としてくれる方が必ず。
 私が大切な人達と出会うまで仲間を知らなかったようにもっといろいろな方達に楽しいお話を聞かせてあげてくださいね』

このあと少女は無事現世に蘇生し、分かってくれる友達と出会います。

*後半はあまりのネタバレになるので省略しますが・・・最後のところ、アニメオリジナルとして棚に飾ってある絵本の表紙に注目です。


第十一話 「神様の休日」

動画 https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=%E3%81%93%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%81%AA%E7%B6%BA%E8%AD%9A+%E7%AC%AC%E5%8D%81%E4%B8%80%E8%A9%B1&ei=UTF-8&fr=mozff

アニメ内シーン セリフや感想 http://anicobin.ldblog.jp/archives/52614502.html

原作「このはな綺譚」3巻 「神様の休日」「わたしの人形は、よい人形」

*全くの余談ですが、原作にさりげなく入れられていた女将の化粧のエピソードがきちんと入っていて・・・笑えました。


これは柚ちゃんが出てこない部分のやりとりですが、後半の西洋人形のセリフが柚ちゃんに通じることろもあり印象的だったので紹介します。

自分を可愛がりもしなかった人間に恨みを抱いていたお菊ですが、街中でゴミと一緒に捨てられていた西洋人形を拾ってきます。最初から物置にしまわれてしまって綺麗なままのお菊人形と違い、あちこち傷んでいてボロボロの人形です。

お菊『人間を呪っていいのよ』

人形『え?あなた人間が憎いの?』

お菊『憎いに決まってるじゃないの!特注で匠に作らせたあたしを差し置いてあんな量産型の人形に浮気しやがって〜!あんな人形靴も靴下も片方だけなくなる呪いをかけてやったわ!』

人形『あなた、遊んでもらったことがないのね。だからそんなに綺麗なのね。子供に使われてないから。
  ほら。私の体なんて傷だらけ。日に焼けて塗装も剥がれて。でも…この全部の傷にあの子との思い出があるの。』

お菊『…でも…捨てられたじゃない』

人形『それが私達の寿命だから』

お菊『え』

人形『女の子達はみんなおままごとより楽しい事を知って、人形より好きな人ができて、大人になっていくの。
  女の子の友達として生まれた私達の…それが…寿命。
  さぁ。もう戻らなきゃ』

お菊『戻るってどこに…いいじゃないここにいれば!もう自由なんだから!ここであたしと…』

人形『ごめんね。あなたの友達になれなくて』(消えていく)

このあと、お菊にとっても、この人形にとっても、ハッピーエンドとなります(良かった!)



最終回の「大晦日の軌跡」をはじめとして、全話、全エピソードについて書きたいところですが、今回はとりあえずここまでということで。

またアニメ化されていないエピソードで印象深いものが多々あります。それは「漫画コーナー」の方でとりあげます。

(虚空のエストラーダ 記)