類化性能
一見すると共通性が感じられないもの(こと)、異なると思われるもの(こと)に何らかのつながりを感じ取る能力のこと。同類とみなす範囲を広げる力ともいえます。

この能力に優れているというのは「抽象化」する能力・・・ある種の数学的なセンスの有無にも左右されます。

最近の日本人は「見たまま」の判断しか出来ないことが多いので、この能力は相当鈍ってしまっている人が多いのですが、日本人は古来、様々な場面でこの類化性能がアップさせてきた。

目にみえない世界に実体を感じてきたという特性も相まって、日本人の類化性能能力は非常に特異に発達してきました。そういう意味では日本人は最も数学の神髄を生活に生かしてきたといえると思います。



言葉遊びなどでいえば駄洒落をはじめとして、同音異義語を駆使した「〇〇とかけて〇〇ととく・・・その心は・・・」や、ネット上でもよくみられるような勘違いのやりとり(例 カードはお持ちですか・・・カードはお餅ですか)というのも、類化性能のアップに一役かっている。

これをさらに突き詰めると、一概に言葉遊びと片付けられないことも出てくるのは、日本にはもともと言霊信仰があったから。


同じ音をあてがうというのは、共通する何らかのイメージを持っているという発想にもなるわけで・・・。そこに呪術的な要素が入ってくるから語呂による「おめでたいことば」や「禁句」にも大変うるさくなる。

「猿」は「サル(去る)」に通じるから「悪いことを祓ってくれる」と考えたり、「四」は「死」、「九」は「苦」に通じるから縁起が悪い。

お賽銭で5円玉は「神様とご縁がある」というので良いが、10円玉は「とおえん 遠縁」になるかだダメとか・・・人によっては15円だと「十分にご縁があるからより良い」という人もいますが、これらも広い意味での類化性能でしょう。

日本人のイラストやアニメキャラで「擬人化」というのがありますが、海外の人が「自分たちにはとても思いつかない。日本人は何故あんなに擬人化が思いつけるんだ」というコメントをしているのを読んだことがありますが、これも類化性能のなせる技です。




ちなみに、小さい子などはこの類化性能を無自覚で発揮することが多いのですが、この能力が高い子供ほど、周囲の大人や友達が「何を突拍子もないことを言い出すの!」という反応をされてしまいます。

ひどい場合にはバカ扱いされたり、周囲から浮きまくってしまう・・・本人にとっては関連があると思ってしゃべっているのに、抽象化の度合いが高すぎたり、独特の着眼点によって同類とみなした場合には、周りの理解度が追い付かないからです。

大人でもそうですが、とってもセンスがいい人間がダメ人間扱いされる悲劇は、類化性能がかなりぬぶってきている現代日本において今後ますます増えていくかもしれません。



*ちなみに見た目には同類だと思われることに差異を発見する力を「別化性能」と言います。

暗記中心の今の学校教育はこのことばかりを意識させるとも言えます。

応用力がない、というのは類化性能が働かないということ。見た目に全く違う問題の中に同じ原理・原則が働いていることを見抜ける人間ほど、代表的な例題をいくつか解いて理解するだけで、いわゆる応用問題や総合問題が一気に解けるようになります。

学校で学んだことに対して別化性能ばかりだと「人生の何の役にたつの?」ということになるし、類化性能が働くと、直接自分の生活のヒントになりそうもならないことを「学校で学んだことが本当に社会人になって生きている」という生活を送れます。

自然界など様々なところから発明や技術開発のヒントを得た、ということもよく聞きますが、これも類化性能がベースにあってのことでしょう。


(虚空 記)