夢と現実

「夢と現実の世界」について学生自身に対してということで上原先生が語った講義記録より(児童の言語研究 第6回 昭和59年5月24日)

我々も考えてみましょうね。「現実と夢とは違うんだ」とよく言いますけれども、本当ですか?皆さんもある時期までは現実と夢とを区別してきたでしょうけれども、もうボツボツまた子供に帰って現実と夢とのつながりを考えてみる段階へお入りになった方がよろしいかと私は思いますね。そちらの方がより高度な生き方ができると私は思いますよ。

「自分の考えていることは夢なんだ。現実にはなかなか相容れてくれないんだ。現実は厳しいんだ」なんていうのはある段階でしかないんではないでしょうかね。

実際に我々は現実に生きているんでしょうか?現実に生きているんでしょうか?我々が現実に生きているのは「実感」においてだけ生きているんですよ。私たちは世間のつながりや人間関係を持って生きていると思う、そしてそれが現実だと思っている。しかしそこに自分を見出すと言うのは大変苦労なことですよ。そこには自分はいないんですよ。極めてパターン化された生活様式があってそこに自分は乗っかっているだけなんですから。

自分を本当に住まわせているのは夢の世界ではないですか?いつまでたっても。私を一番心休まるように住まわせてくれているのは現実と離れたところにそれぞれの人がいらっしゃるのではないですか?


だいたい我々がこの世をおさらばする時にね、「俺は長い夢をみていた」と言っておさらばするんじゃないですか。豊臣秀吉だってそうでしょ。「難波の夢は夢のまた夢」って言って「サヨナラ」ってしたんじゃないですか。そうでしょ。「ああ、今初めて夢から覚めた」それから死んであの世へ、って言うんでしょ。みんな同じ想いをしているんじゃないですか?そうするとこの世に生きているとは夢をみるために生きているんですよ。

これも自然科学に人間が破壊されているからなんですよ。そういうことが思えなくなってしまったんですよ。自然科学に破壊されていなかったら我々はもっともっと楽しかったはずですよ。夢をみて過ごせたからですよ。どうして夢をみて過ごすことが悪いんですか!それしかみられないんですよ、人間は。

もう皆さんは次の夢時代に入って欲しい。特に教育学をやる人たちでしょ、あなたがたは。私は教育学をやる人は絶対ロマンチストでなければいけない、っていうのが私の信念ですから。

ロマンチズムっていうのは滅びるんです。でもこうも言えるんですよ。「破れるからロマンチズムなんだ」って。「僕がこの世に描こうとした教育における夢を俺は何も果たすことはできなかった」って。「私は悲しくまたこの世を去っていく」それでいいじゃないですか!それが言えれば素晴らしいことですよ。それが私は教育科の学生でなければならないと思う。

小原國芳が「夢夢夢夢・・・」って書いているのは何の夢か、何の意味だったのか。もう少し高度な意味で捉えてほしい。人間は夢を見なければ生きられない動物なんですよ。夢を見ていこうとするものですよ、本来。それぞれが夢を見ているんですから。


<自分だけの現実(パーソナルリアティ)>

(虚空 記)