稲荷神
「稲荷信仰」といえばキツネですが、私の父が調べた説では、もともと稲荷神は「狐」とは関係なかったと・・・本来の正体は伊勢神宮の外宮のお祭りされている「豊受大神様」だということです。

農耕民族であった日本人にとって神からの恩恵の最も大きなものが「お米」・・・だから「稲荷」という言葉には「稲」という文字が入っているという説もあります。

そうしたことを稲作以外にまで拡大すると、この神様の最大の御利益は、目にはみえない神の世界の御神徳を、この目に見える世界に仲立ちして、実現させてくれるということ。
だから大きな神社の本殿の手前にお稲荷さんが祭ってあることが多いのだとか。

それが財をもたらせてくれるという信仰につながり、財界人などでお稲荷様を祭っていることが多いということにもなっているようです。

土着信仰といったら叱られそうですが、最も日本の庶民に愛され信仰されているのは「稲荷神」(ちっちゃな社まで含めると稲荷神は八幡様かという)ということはそのあたりのことからのようです。



数年まえにチベット仏教の秘宝展が日本各地を巡回したのですが、その時に「ダーキニー像」が展示されていていました。

説明には「男性を助ける女神で、良好な関係を保っていれば快楽の果てに悟りの境地に導いてくれるが、機嫌が悪いと食い殺します」

一般的に仏教というのは「禁欲的なイメージ」が強いですが、チベット仏教などはいわゆる密教系で、現世的な快楽などを完全否定しません。もちろんそこに溺れることは悟りへの妨げになりますが、人間がそのような面を持って生まれてくることに何らかの意味があるということなのでしょう。

肉体的な、あるいは目先の財などがいけないのではなく、その受け止め方、それをきっかけにどのように意識を発展させていくかによって「毒にも薬にもなる」ということなのだと思います。

そんなダーキニーが日本に伝わってくるとこの「稲荷神」と習合しました。ダーキニーは稲荷神の化身という見方です。

現世的なありのままを受け止め、それらを「神や仏」の境地との仲立ちとなり、結びつけるというのがお役目。



そう考えると、日本人古来からの「狐は古来から神様の使い」という位置づけとして描かれているアニメ「このはな綺譚」がそういったことを具現化していると言えます。

あの世とこの世の境にある、お宿「此花亭」がキツネたちが働いているところという設定には意味深いものを感じます。



そして中でも新人仲居の「柚」が、最も本来の「稲荷神の神格を宿した狐」といえそうです。

柚の一言は登場人物の意識をたびたび転換させます。(具体例については「アニメコーナー」をご覧ください)

柚ちゃんは発言した人の真意とは違った受け止め方をします。
根が肯定的な構えとでも申しましょうか・・・

自分の発言を全く違った意図の言葉として何の疑いもなく受け止め、感心したり感動している柚ちゃんの言動で、発言者の方も「そういう気持ちでもあったかな???」なんていつのまにか軌道修正されてしまう。

本当は軌道修正というよりも、無意識の奥底にはあっても自分では気が付いていないこと、忘れてしまったこと・・・それらが甦ってくるというのが本当なのかもしれません。

そういった心の世界が転換すると、いつのまにか気持ちの流れ方も変わり、生活態度も変化・・・日常そのものが変わっていく。

柚ちゃんは、いつもそういった役回り・・・・


ここでもう一つ強調しておきたいのは、柚は最初からそうした構えの持ち主だったわけではありません。

むしろ幼い頃は人を疑う子狐でした。それが人格的に優れた比丘尼様という人間に育てられていくうちに内なる意識を開花させ、そういった構えを獲得していきます。

こうしたことが現世でのお話になると「若おかみは小学生!」の特に劇場版に登場する主人公「おっこ」がそういう役回りです。(おっこの方が怒ったり反発したりとより人間的ですが・・・っていうか人間ですからね。)
(虚空 記)