あきらめ

上原輝男氏の言葉によれば、普通一般に使われている意味とはだいぶ違います。

日本人の意識では『明らかにする』『究極の真相を知る』ということ。         (「児童言語」講義より)

上原氏の発想には「人間は自分の限界を本当に自覚すると、自然に次のステップに上がる」というのがあります。

「ここが本当の精一杯」だからこそ「次のステップ(自分にとっての課題)が見えるということです。次のステップだからこそ、最も克服できる可能性もあります。

今はできない・・・でも逃げずに立ち向かえば出来るかもしれない・・・・そういった「希望」、そしてそのずっと先にあることへの「憧れ」がどんどん自分を想定外のところへ連れていってくれる、ということです。



スラムダンクで安西先生の言葉に「諦めたらそこで試合終了」という有なのがあるのですが、こうした場合での「諦める」は、本当の意味での限界を明らかにしているというよりは、自分や他人が勝手に決めている「常識」などの基準と照らし合わせて、そこでストップしてしまう、というものです。

さらに言えば「諦め」の背景には、「もうこれ以上は努力したくない」「努力して結果が出せなかったら嫌だ」「挫折は味わいたくない」という気持ちがかなりあると思われます。

「成果主義」「競争原理」が盛んに言われるようになってからは、「失敗したところ、行き詰まったところを見られたくない」というのもよくあります。

だから「ギリギリではなく適当なところ」で諦めて、ストップしてしまう。若者の特権を自ら放棄していると。

そして願わくば「楽して結果を出せる方法を誰かに教わりたい」「そのための時間稼ぎや口実を得たい」・・・なんていうこともあるのではないか・・・

日本人古来の「あきらめ」を復活させたいものです。


体がボロボロである虚空からみると、他人の目を気にして勝手に自分を過小評価して「明らかになったつもり」で生きていくのは本当にもったいないなーと思いますよ。

せっかくの人生なのですから・・・・

<希望と絶望><パーソナルリアリィティ><憧れ>

(虚空記)



(参考)・・・諷虹からの提起
*「怪盗ルパン」などは不可能に近いほどファイトがわく。予告などでさらに難易度をあげる。名探偵も解決不可能のような難事件でこそ存在意義がある。


*「ドラゴンボールなんかの少年漫画もその繰り返し」強大な敵があらわれてワクワクする。→バガボンドの宮本武蔵。良きライバルのスポ根もの。


*デッカイ夢を描くよりは手堅く・・・


*「少女終末旅行」・・・全体のテーマが「絶望となかよく」
               公式アニメサイトhttp://girls-last-tour.com/story/intro.html


*「魔法少女まどか☆マギカ」・・・ほむらちゃんが「絶望」という言葉をよく使いますが杏子のセリフにも

「希望を祈れば、それと同じ分だけの絶望が撒き散らされる。そうやって差し引きをゼロにして、世の中のバランスは成り立ってるんだよ」

というのがあり、美樹さやか

「希望と絶望のバランスは差し引きゼロだって、いつだったかあんた言ってたよね。今ならそれ、よく分かるよ。確かに私は何人か救いもしたけどさ、だけどその分、心には恨みや妬みが溜まって。一番大切な友達さえ傷付けて・・・・誰かの幸せを祈った分、他の誰かを呪わずにはいられない。私達魔法少女って、そう言う仕組みだったんだね。あたしって、ほんとバカ」 このあと魔女化


⇒この点についての虚空の見解
これは西洋的な合理的発想に近いのかもしれません。
もしかすると日本古来の発想での「あきらめ」「絶望」だと、「球体思考」となり、これとは違う展開になったのかも・・・・。

また西洋的物理学の世界でも最先端のものは「プラスマイナスゼロ」という発想ではないことを明らかにしてきているようです。ノーベル物理学賞の益川博士の「自発的対称性の破れ」だとか、全くの無の世界に生じた「ゆらぎ」から宇宙が生じた・・・なんていうことも杏子やさやかの発想を超越した境地・・・本来の「あきらめ」と根源でつながってくるとも考えています。